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最高裁判所第三小法廷 昭和45年(あ)711号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

弁護人小笠原稔の上告趣意は、憲法一三条違反をいう点もあるが、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張を出ないものであって、上告適法の理由にあたらない。

しかし、所論にかんがみ職権によって調査すると、原判決は、後記のとおり刑訴法四一一条一号、三号により破棄を免れないものと認められる。

本件控訴事実について、原判決が確定した事実関係とこれに対する法律判断は、おおむね次のとおりである。

すなわち、被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四三年一月二日午後一時五〇分ごろ、普通貨物自動車を運転して、飯田市方面から駒ヶ根市方面に通ずる幅員約五、六メートルの舗装された県道の道路の中央から右の部分を、駒ヶ根市方面に向け、時速五〇ないし六〇キロメートルで進行中、長野県下伊那郡高森町山吹三一二七番地先にある、右県道とその左方から同県道に接続する幅員約二メートルの舗装されていない農道とがほぼ直角に交差する交通整理の行なわれていない交差点にさしかかり、これを通過しようとしたものである。ところで、被告人は、右交差点の手前約三七、五メートルに達したときに、右農道からの交差点の入口の手前約七、六メートルの地点を、自動二輪車に乗って、時速二五ないし三〇キロメートルの速度で交差点に向って進行してくる被害者松下伊一を発見したのであるが、当時松下は被告人の車両に気づかない様子であり、仮に気づいていたとしても、被告人の車両は右交差点より相当手前を進行していて、同車両が道路の左側を進行しておれば、松下が被告人の車両の前方を横切って右折することが必ずしも不可能ではないような状態にあったのであるから、松下が被告人の前方を横切ることができると考えて、そのまま県道上に進出するおそれがあり、被告人としては当然そのことを予測すべき状況にあったわけである。したがって、このような状況のもとにある自動車運転者としては、松下の自動二輪車の動静に留意し、まず減速徐行し、かつ、自車を道路左側の正常な進行位置に移行するなどして進路の安全を確認しながら進行し、自動二輪車との衝突を回避し、もって事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるものといわなければならない。しかるに被告人は、右自動二輪車が、県道上に進出する手前においていったん停止して自車に進路を譲ってくれるものと軽信し、漫然同一速度で、しかも道路の中央から右の部分を進行した過失により、右自動二輪車がいったん停止することなく県道上に進出し、被告人の進路前で右折し始めたため、あわてて急制動の措置を講じたが及ばず、自車前面を右自動二輪車の前部に衝突させて、右松下をはねとばし、よって同人を翌一月三日脳挫傷等により死亡するに至らせたものである。なお、松下が交差点の入口で一時停止をしなかったからといって、右のような状況のもとにおいては、被告人の過失責任を否定することはできない、というのである。

たしかに、被告人が、右判示のような注意をしておれば、本件事故は発生しなかったか、少なくとも本件事故とは異なる事故になっていたであろうと思われる。問題は、被告人にそのような注意義務があるかということである。そこで、以上の事実関係を基礎にして、被告人の注意義務に関する原判示の当否について考える。

道路交通法三五条三項は、「車両は、交通整理の行なわれていない交差点に入ろうとする場合において、左方の道路から同時に当該交差点に入ろうとしている車両があるときは、当該車両の進行を妨げてはならない。」と規定しており、右にあげた被告人の車両と松下の自動二輪車の交差点への進入直前の位置、速度などからすると、同時もしくは松下の方が少し先に交差点にはいろうとしていたものというべきであるから、この限りにおいては、被告人に、原判示のように減速徐行しなければならない注意義務があったといえることになる。しかし、同法三六条は、その二項において、「車両等は、交通整理の行なわれていない交差点に入ろうとする場合において、その通行している道路(優先道路を除く。)の幅員よりもこれと交差する道路の幅員の方が明らかに広いものであるときは、徐行しなければならない。」と規定し、かつ、三項において、「前項の場合において、幅員が広い道路から当該交差点に入ろうとする車両等があるときは、車両等は、幅員が広い道路にある当該車両等の進行を妨げてはならない。」と規定するとともに、四項において、「前項の場合において、幅員が広い道路を通行する車両等については、前条三項の規定は、適用しない。」と定めているのである。これを本件についてみると、松下の通行していた農道の幅員は、約二メートルであるのに対し、被告人の通行していた県道の幅員は、約五、六メートルであるというのであるから、後者が明らかに広いものであることは多言を要しないところである。また、被告人が松下を発見した地点から交差点の入口までの距離は約三七、五メートルであり、松下の自動二輪車の末尾が、その発見された地点から、右折のため交差点を斜めに横切って県道の中央付近を通過するまでの距離は計算上約一五メートルとなるはずであり、しかも、被告人の車両の速度は少なくとも松下の自動二輪車のそれの二倍を下らない五〇ないし六〇キロメートルであったのであるから、原判決がいうように被告人が道路の中央から左の部分を通行していたとしても、松下が被告人の車両の前を横切ろうとすれば、被告人としては、衝突のおそれがあるのであるから、どうしても急停車の措置をとらざるをえないことになって、被告人の車両の進行が妨げられることになるわけである。そして、このように、幅員が明らかに広い道路から交差点を通過しようとしている車両の交差点における正常な進行が妨げられる場合には、その車両は、道路交通法三六条三項にいう「幅員が広い道路から当該交差点に入ろうとする車両等」にあたるものと解すべきであるから、松下としては、同条二項により交差点の入口で徐行し、かつ、同条三項により被告人の車両の進行を妨げないように一時停止するなどの措置に出なければならなかったのであり、これに対応して、被告人は同条四項により前記三五条三項の左方車両優先の規定の適用から免れる立場にあったものといわざるをえない。したがって、被告人が、松下がいったん停車して自車に進路を譲ってくれるものと信じたのは自動車運転者として当然のことであり、これを不注意であるということはできない。このようなわけであるから、被告人が、当時、道路交通法一七条三項に違反して道路の中央から右の部分を通行していたことは、右の結論に影響を及ぼすものではない。もちろん、被告人が道路の中央から左の部分を通行していたとすれば、あるいは本件のような事故は起こらなかったかもしれない。この意味で、右道路交通法違反と松下の死亡との間には条件的な因果関係はあるが、このような因果関係があるからといって、ただちに過失があるということができないことは、あえて多言を要しないところである。本件では、松下がいったん停止して被告人の車両に進路を譲るべきものであったのであるから、被告人が道路の中央から右の部分をそのままの速度で進行したからといって、衝突死傷の結果が発生するおそれはなかったのであり、したがってまた、これを認識すべき注意義務もなかったのである。

なお、被告人が、松下をみた際、その態度などから被告人の車両の前方で右折するかもしれないと思われるような特別の事情が看取された場合には、被告人としてもこれに対応する措置をとる義務があることはいうまでもないが、記録によると、本件は、晴天無風の日の昼間の、しかも見とおしのよい場所でのことであり、右のような特別の事情の認むべきものは存在しない。ただ、原判決は、前記のとおり、松下は被告人の車両に気づかない様子であったと判示しているが、記録によると、松下が下を向くような形で進行していたというだけのことであって、右のような特別の事情にあたるものとは思われない。

以上のような次第であって、本件被告人のように、交差する道路(優先道路を除く。)の幅員より明らかに広い幅員の道路から、交通整理の行なわれていない交差点にはいろうとする自動車運転者としては、その時点において、自己が道路交通法一七条三項に違反して道路の中央から右の部分を通行していたとしても、右の交差する道路から交差点にはいろうとする車両等が交差点の入口で徐行し、かつ、自車の進行を妨げないように一時停止するなどの措置に出るであろうことを信頼して交差点にはいれば足り、本件松下のように、あえて交通法規に違反して、交差点にはいり、自車の前で右折する車両のありうることまでも予想して、減速徐行するなどの注意義務はないものと解するのが相当である。

そうすると、本件において、被告人に過失責任を認めた原判決は、法令の解釈を誤り、かつ事実を誤認して、被告事件が罪とならないのに、これを有罪としたものというべく、右は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、刑訴法四一一条一号、三号により、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

よって、同法四一三条但書、四一四条、四〇四条、三三六条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 下村三郎 裁判官 松本正雄 裁判官 飯村義美 裁判官 関根小郷)

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